日本史上大きな勢力を持ち権勢をふるった藤原氏の氏寺として栄え、その勢威を象徴するかのように境内には立派な諸堂が立ち並ぶ。国宝や重要文化財の多さにも驚かされる。国宝は何と二十七件もある。重厚な趣をもつ東金堂は聖武天皇が神亀三(七二六)年に建立され、五度の焼失の後、応永二二(一四一五)年に再建された。建物そのものが国宝である。
東金堂の中には同じく国宝の木造文殊菩薩坐像、定慶作の木造維摩居士坐像、平安時代前期の作風を伝える迫力のある木造四天王立像、木造十二神将立像が安置されている。また清らかな姿をした重文の銅造薬師如来坐像が安置される。
藤原不比等の追善のために養老五(七二一)年に創建された北円堂は日本で一番美しい八角円堂と言われる。一二一〇年ごろに再建された。中には国宝の運慶作の木造弥勒如来坐像、木造無著・世親立像、そして平安期の木心乾漆造四天王立像が祀られている。また藤原冬嗣が父のために弘仁四(八一三)年に創建の南円堂は十八世紀後半に再建されている。西国三十三所第九番札所である。内陣には康慶作の木造不空絹索観音菩薩坐像、木造法相六祖坐像、木造四天王立像が安置される。
国宝館には有名な阿修羅像を含む乾漆八部衆立像、乾漆十大弟子立像、鎌倉復興期の木造金剛力士立像、木造天燈鬼・龍燈鬼立像などの国宝を収蔵する。阿修羅像は三面六臂で争いを憂う表情に多くの参拝者が魅了される。
さらに重文の建造物として大湯屋、南円堂、仏像では木造薬王・薬上菩薩立像、木造帝釈天立像、絵画では慈恩大師画像、典籍では宋版一切経など四十四件を所蔵する。
同寺の札所としては西国三十三所の第九番、大和北部八十八カ所霊場では六十二番に当たる。
同寺の起源は山背国山階に創建された山階寺で、藤原鎌足の夫人が夫の病気平癒を祈願して釈迦三尊像を本尊として安置したのが濫觴である。藤原京に移ると厩坂寺と称し、和銅三(七一〇)年に平城遷都にともなって現在地に移って興福寺と改号した。
同寺は一九九八年にユネスコ世界遺産登録されている。中金堂の再建は二〇一八年秋に落慶を迎えた。境内は常に多くの参拝客でにぎわっている。
追儺会 2月3日(2月2日の年もあり) 18:30
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